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東京高等裁判所 昭和55年(行コ)118号 判決

控訴人(原告) 矢嶋政一郎

被控訴人(被告) 東京都豊島区建築主事

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。本件を東京地方裁判所に差し戻す。」との判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張は、次のとおり加えるほか、原判決事実摘示(原判決二枚目―記録七丁―表七行目から、原判決一七枚目―記録二二丁―表七行目まで並びに原判決添付第一図、第二図。但し、原判決五枚目―記録一〇丁―裏一〇行目に「不然」とあるを「不燃」と改める。)と同一であるから、これを引用する。

一  控訴代理人は、次のとおり述べた。

控訴人が、本件訴えにおいて取り消しを求める建築確認処分(以下「本件建築確認」という)が、その対象とされた建物が完成したため、取り消しの利益を失つたとしても、控訴人は、行政事件訴訟法(以下「行訴法」という)三一条一項に基づいて、判決により本件建築確認が違法であることの宣言(以下「事情判決」という)を求める利益を有する。然るに、原裁判所が、事情判決をなすことなく、訴えの利益がないとして、控訴人の訴えを却下する旨の判決をしたのは違法であるから、原判決を取り消し、本件を東京地方裁判所へ差し戻す旨の判決を求める。

二  被控訴代理人は、一の控訴人の主張に対し、次のように述べた。

事情判決は、裁判所が、本来は処分を取り消すべき場合であるとの判断に達したうえで、取り消すことが公共の福祉に適合しないと認めたときになすべきもの、すなわち訴訟要件である訴えの利益があることを前提としたうえで、例外的になされるものであるところ、本件は、その前提を欠く。

理由

当裁判所は、本件建築確認の対象となつた建物が完成した結果、本件建築確認の取り消しを求める利益は失われたから、本件訴えは、訴えの利益がないものとして却下するのを正当と判断するものであり、その事実認定及びこれに伴う判断は、次に付加するほか、原判決理由説示(原判決一七枚目―記録二二丁―表九行目から原判決二三枚目―記録二八丁―裏四行目「却下することとし、」まで。但し、右「却下することとし、」とあるを「却下する。」と改める。)のとおりであるからこれを引用する。

なお、原判決二三枚目―記録二八丁―裏三行目の後に行を改めて次のように加える。

控訴人は、本件建築確認を取り消す利益がないとしても、事情判決をなすべきである旨主張するが、事情判決は、行訴法三一条一項に照らし、取消訴訟において、処分又は裁決を取り消すべき要件を具えているに拘らず、これを取り消すことが公共の福祉に適合しない特別の事情がある場合に、請求を棄却したうえでなすべきものであつて、本件におけるように、取消訴訟につき訴えの利益を欠くと認められる場合にこれをなす余地はないものというべきであり、右控訴人の主張は採用することができない。

よつて、原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないから、民訴法三八四条に従いこれを棄却すべく、控訴費用の負担につき、行訴法七条、民訴法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 園部秀信 村岡二郎 川上正俊)

原審判決の主文、事実及び理由

主文

本件訴えを却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた判決

一 原告

被告が訴外橋本商事株式会社に対してした昭和五四年二月一三日付第一、一七八号による建築確認処分を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

二 被告

(本案前)

主文と同旨

(本案)

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一 請求原因

1 訴外橋本商事株式会社は、東京都豊島区西巣鴨二丁目二、二四四番一並びに同所二、二五五番二及び三の土地(面積五九〇平方メートル。以下「本件敷地」という。)上に建築すべき鉄骨鉄筋コンクリート造一部鉄筋コンクリート造店舗・共同住宅(建築面積二六〇・〇四平方メートル、延べ面積二、五三九・八八平方メートル。以下「本件建物」という。)の建築計画について、被告に対し建築基準法六条の確認を申請したところ、被告は、昭和五四年二月一三日付第一、一七八号をもつて、これに対する確認(以下「本件確認」という。)をした。

2(一) 本件敷地は、別紙第一図のとおり、その西側において幅員約八メートルの道路(以下「A道路」という。)に接しており、A道路の更に西側にはこれと平行して走る幅員約二〇メートルの道路(以下「B道路」という。)が存在する。しかし、B道路は、擁壁の上に設けられていて本件敷地の前面においてはA道路より二・二メートルないし四・二メートル高くなつており、その位置関係は別紙第二図のとおりであつて、建築基準法五六条一項一号の規定により本件建物の高さの道路斜線制限を算定する上で基礎とすべき前面道路には該当しない。

(二) また、同法五六条三項及びこれを受けた同法施行令一三四条一項は、特別の事情による道路斜線制限の緩和に関して「前面道路の反対側に公園、広場、水面その他これらに類するものがある場合においては、当該前面道路の反対側の境界線は、当該公園、広場、水面その他これらに類するものの反対側の境界線にあるものとみなす。」と定めている。しかし、B道路は、A道路より高く位置し、しかも擁壁の上に設けられたもので、その開放性等において公園、広場、水面等とは著しく異なり、右規定にいう「その他これらに類するもの」に当たらないことが明白である。

(三) したがつて、本件建物の道路斜線制限は、A道路の反対側境界線を基準に算定すべきであり、B道路の反対側境界線を算定基準とすることはできない。A道路の反対側境界線を基準に道路斜線制限を算定した場合、本件建物の高さ(三〇・五メートル)は、右制限を大幅に超えるものであつて、建築基準法に適合しないことが明白である。しかるに、本件確認は、誤つてB道路の反対側境界線を基準に道路斜線制限を算定した結果、本件建物を同法に適合するものと判断したもので、違法というべきである。

3 原告は、本件敷地の北側に隣接する土地上に八階建の北大塚共同ビル(以下「共同ビル」という。)を所有し、二階部分以上で貸室マンシヨンを経営するとともに自らも居住しているものであるが、本件建物により受忍限度を超えた次のような被害を被つているので、本件確認の取消しを訴求する原告適格を有する。

(一) 本件建物の完工によつて、共同ビルは、昭和五四年一一月二〇日の時点で午前九時から午前一〇時まで三階までが、午前一〇時から日没まで全階層が日影になる(但し、正午以降は、同じ訴外橋本商事株式会社の所有に係る第一不二荘ビルによる日影との複合日照被害である。)などの著しい日照被害を受けるに至つた。

(二) 共同ビルの二階部分以上の各階の出入口及び通路は、すべて本件建物に面しているので、本件建物から出火したときは共同ビルの居住者は外部に脱出することも困難となるなど、重大な危険にさらされる。

(三) 原告は、(一)及び(二)の被害のため、共同ビルの家賃の値上げが不可能となつたほか、従来の賃借人から解約されたり、新規の賃借人に対して従来より安い家賃で賃貸せざるを得なくなるなどの事態に陥つている。

(四) 本件建物の外壁が共同ビルの外壁と近接(最短距離約九〇センチメートル)しているため、共同ビルの各階の通路はひどい風害を被つている。

4 原告は、本件確認につき昭和五四年三月三〇日に東京都建築審査会に対し審査請求をしたが、同審査会は、昭和五五年一月二五日にこれを棄却する旨の裁決をした。

二 被告の本案前の主張

1 本件訴えは原告適格を欠き、不適法である。

すなわち、原告は本件確認の名宛人でない第三者であるが、仮に原告のような第三者に建築確認の取消しを求める原告適格を認め得る場合があるとしても、それは、当該確認に係る建築物によつて日常の保健衛生上不断の悪影響を受け、特に火災等の危険にさらされるおそれのある第三者に限つて認められるべきである。

しかるに、本件建物及び共同ビルは共に鉄骨鉄筋コンクリート造りであり、その西側にはA道路及びB道路があり、共同ビルの北側には幅員約一〇メートルの道路があるほか、付近一帯には鉄筋コンクリート造り等の不然建築物が多いうえ、本件建物の共同ビルに面している部分には各階に横一・七メートル縦〇・七五メートルの窓が各一個あるのみで開口部が少ない。これらの状況を考え併わせると、本件建物付近一帯は火災発生のおそれが小さいだけでなく、万一本件建物内で火災が発生したとしても共同ビルへの延焼のおそれは小さいというべきであり、また、共同ビルは角地にあるから、その居住者の避難にも支障はないのである。したがつて、本件建物の完成によつて原告ら共同ビル居住者が火災等の危険にさらされるに至つたという事実はない。

また、本件敷地付近は、都市計画法上の商業地域に指定されているが、商業地域には、主として中高層の業務用建物の建築が予定されており、建築基準法上の建ぺい率、容積率、道路斜線制限、隣地斜線制限等の規制がゆるいほか、同法五六条の二で定める日影による高さの規制の対象外であるなど、住居専用地域等と比較して、日照等の保護は著しく薄い。ちなみに、本件敷地付近の建ぺい率及び容積率は、それぞれ一〇分の八、一〇分の六〇と高く定められている。したがつて、かかる地域においては、高密度の土地利用が可能な反面、原告の主張するような日照被害等は一般的に起こり得るものとして受忍しなければならないものである。

以上によれば、原告は、本件建物によつて、日常の保健衛生上不断の悪影響を受けるとまではいえないから、本件確認の取消しを訴求する原告適格を有しないというべきである。

2 本件訴えは、次に述べるとおり訴えの利益を欠き、不適法である。

すなわち、原告の本件訴えの目的は、本件建物の建築によつて原告所有の共同ビルが受ける被害を消滅ないし軽減するため、本件建物を除却ないし改築せしめることにあると解される。しかし、建築確認の取消しには、建築工事の進行を阻止する効果はあつても、既に工事の完成した建築物を除却ないし改築せしめる効果はない。本件建物は、既に工事を完了し、昭和五五年二月二二日には検査済証も交付されており、もはや建築確認の取消しによる工事の阻止は問題にならないから、本件確認の取消しを求める本訴は、原告の前記目的達成のための有効適切な手段とはいえない。

行政面で前記目的を達成するには、建築確認の取消しではなく、建築基準法九条の規定による特定行政庁の是正命令の発出が必要である。

ところで、特定行政庁が是正命令を発するに当たつては、当該建築物が建築基準法又はこれに基づく命令若しくは条例の規定に実体的に違反していることを必要とするところ、判決によつて建築確認が取り消されても、無確認の状態に戻るだけであつて、形式的、手続的な違法を生じるのみであるから、これだけでは特定行政庁は是正命令を発し得ないのである。他方、建築確認が取り消されなくとも、当該建築物が実体的に建築基準法等に適合しないと特定行政庁が判断すれば是正命令を発し得るのである。すなわち、是正命令を発し得るか否かは、建築確認の有無には何らかかわりがないといわなければならない。

また、特定行政庁が是正命令を発するか否か、いかなる内容の是正命令を発するかは特定行政庁の合理的裁量に委ねられており、たとえ判決で建築確認が取り消され、当該建築物が違反建築物であることが明らかにされたとしても、特定行政庁が右判決に拘束され、是正命令を発することを法律上義務づけられるものではない。判決で建築確認が違法であることが明らかにされれば、是正命令が発せられることを期待し得る可能性が出てくると仮定しても、それは単に事実上のものにすぎず、このような事実上の期待が生じることをもつて、建築確認の取消しを求むべき法律上の利益があるとはいえない。

したがつて、本件確認の取消しを求める本訴は、いずれにしても訴えの利益を欠くものというべきである。

三 被告の本案前の主張に対する原告の反論

建築物が既に完成した場合、建築確認の取消しによる工事の阻止がもはや問題にならなくなるのは当然であるが、それでもなお建築確認の取消しにより回復すべき法律上の利益が次のとおり存するのである。

1 本件建物は建築基準法五六条一項一号の道路斜線制限を超える違反建築物であり、これにより原告は前記のような被害を受けているのであるが、原告の被害回復のためには、同法九条の規定に基づき、特定行政庁において右制限を超える部分の除却を内容とする是正命令を発することが必要である。ところで、建築主事は本件建物が右道路斜線制限を超えるものではないと判断してその建築を是認し、訴外橋本商事株式会社は右判断を信頼して本件建物を完成させているのである。このように、市民が建築主事の確認を信頼し、建築物を完成させた場合、同じ行政組織に属する特定行政庁が自ら右市民に対し、右確認は違法であるから当該建築物を除却ないし改築せよと命ずることは、信義則又は禁反言の原則による制限を受けて困難であり、このような是正命令が自発的に発せられることを期待することは、実際上不可能である。しかし、当該建築物により被害を受けている付近住民として、訴訟等により右是正命令そのものの発出を直接訴える方法がないのである。付近住民としては、確認取消しの判決により、建築確認の違法性についての司法判断を得て、しかる後に、特定行政庁に対し是正命令権の発動を求める以外に救済の方法がないのである。

被告は、是正命令権の発動は特定行政庁の裁量に委ねられており、建築確認の取消判決により特定行政庁が是正命令を発することを義務づけられるものではないと主張するが、右は全くの自由裁量ではなく、判決で明らかにされた当該確認の違法の性質及び程度、是正により回復される利益等に照らし、是正命令を発しないことが裁量権の逸脱ないし濫用として違法となる場合が存するのである。

したがつて、建築物が完成しても、なお建築確認の取消しを求める法律上の利益があるものというべきである。

2 また、被告は、判決で建築確認が違法であることが明らかにされれば、是正命令が発せられることを期待し得る可能性が出てくると仮定しても、それは単に事実上のものにすぎず、これをもつて建築確認の取消しを求むべき法律上の利益があるとはいえないと主張するが、仮に、是正命令の発出が事実上の可能性にとどまるとしても、建築確認の取消しを求めるにつき訴えの利益があるというべきである。

すなわち、行政事件訴訟法九条括弧書は、取消訴訟の原告適格を有する者について、「処分又は裁決の効果が期間の経過その他の理由によりなくなつた後においてもなお処分又は裁決の取消しによつて回復すべき法律上の利益を有する者を含む。」と規定しているが、右規定は、係争処分に起因する法的利益の侵害が処分失効後も継続しており、当該係争処分の違法判断が右法的利益の回復に役立つ可能性がある場合にも、訴えの利益を認める趣旨と解すべきである。

前述のとおり、本件建物に対し是正命令が発せられる可能性は、建築確認取消しの判決があつて初めて客観的に生ずるのであり、是正命令の発出により原告の権利救済が可能になるのである。そして、原告は、是正命令の発出そのものを直接求めて訴えることはできず、建築確認の取消しを求める以外に他に適切な権利救済の方法を持たないのである。このように、本件確認の取消しにより、原告の権利救済の可能性が生じ、かつ、本件確認の取消しを求める以外に適切な権利救済の方法がない以上、原告の権利救済が可能性にとどまるものであつたとしても、原告には本件確認の取消しを求める法律上の利益があるものというべきである。このことは、ある処分によりいまだ権利侵害の現実的発生がない場合にも、後続処分により将来権利侵害の発生する可能性が存するときは、右処分の取消しを求め得ることとの均衡からも肯定されるべきである。

なお、右のとおり建築確認の取消しを求める以外に他に適切な権利救済の方法がないところ、建築基準法九六条の規定によれば、建築確認取消しの訴えは、建築審査会の裁決を経た後でなければ提起することができないため、原告は昭和五四年三月三〇日本件確認につき審査請求を行つたが、この時点では本件建物はいまだ完成していなかつたのである。しかし、同法九四条二項において、建築審査会は審査請求を受理した日から一月以内に裁決しなければならないと規定されているにもかかわらず、原告の審査請求を受理した東京都建築審査会は、審査請求受理の日から約一〇月経過した昭和五五年一月二五日になつて裁決したため、この時点では本件建物はほとんど完成してしまつたのである。このような場合、建物が完成したから建築確認の取消しを求むべき訴えの利益がないということになれば、裁判所に救済を求める道が完全に閉ざされてしまう結果となり、いかにも公平を欠き、妥当性を欠くものというべきである。

3 前述のとおり、係争処分の違法判断が権利救済に役立つ可能性がある場合にも、訴えの利益が肯定されるところ、本件確認の取消判決を得ることは、原告において、国家賠償法一条の規定に基づき地方公共団体に対し、あるいは民法七〇九条の規定に基づき建築主に対しそれぞれ損害賠償請求の訴えを提起追行する上で有効に役立つのである。すなわち、建築確認取消判決において建築計画及びこれに対する確認の違法性及びその内容程度についての判示を求めることは、右の損害賠償請求訴訟における原告の主張立証を容易にし、原告の権利救済を有利に展開させるものであるから、本件確認の取消しについて原告に訴えの利益を認めるべきである。

四 本案前の原告の反論に対する被告の再反論

1 原告は、建築主事が確認した計画に従つて建築された建築物について、特定行政庁が判断を翻して是正命令を発することは期待し得ない旨主張する。

しかし、実体的に建築基準法等に違反した建築物は、その計画につき建築確認を受けているからといつて、それで適法になるものではないから、特定行政庁は、右確認にかかわりなく是正命令を発することができる。また、是正命令を発するのは特定行政庁であつて、建築確認をなす建築主事とは権限を異にする別個の機関である。したがつて、建築主事の確認した建築物について特定行政庁が是正命令を発するのは、確認の取消判決を待つまでもなく法的に何ら障害がないことはもちろん、自己矛盾的な判断を意味するものでもないから、原告の主張は当たらない。

なお、原告は、是正命令とこれに続く行政代執行が被害回復の唯一の道であるかのように主張するが、原告の目的を達するには、より直截の手段として、建物所有者を相手として建物の一部撤去等を求めるなどの民事訴訟による方法もあるのである。

2 原告は、行政事件訴訟法九条括弧書の規定を援用するが、右規定は、処分又は裁決の効果が期間の経過その他の理由によりなくなつた場合を前提とするもので、本件のように処分自体はなお効力を有する場合には適用の余地がない。また、右の点を別としても、原告の主張する是正命令の可能性とは、建築確認の取消判決がなされれば、特定行政庁が何らかの圧力を感じて是正命令を発するのではないかという主観的な期待にすぎず、このようなものをもつて訴えの利益となすことはできない。

原告は、また、後続処分により将来権利侵害の発生する可能性があるときは、現在の処分の取消しについて訴えの利益が肯定されているから、それとの均衡上、本件確認の取消しについて訴えの利益を認めるべきである旨主張する。しかし、一連の手続を経てなされる行政処分において、いかなる後続処分がなされるか、後続処分がなされればいかなる不利益を被るかが法令上既に明白な場合には、現在の処分の取消しを求める訴えの利益を認める余地があるにしても、別な処分への漠然とした期待があるにすぎない本件においては、訴えの利益を肯定することができない。

3 原告は、審査請求前置主義の下において、審査の手続が遅延したため、訴え提起までの間に建物が完成してしまつたからといつて、訴えの利益を否定するのは、公平を欠き妥当でない旨主張する。

しかし、行政不服審査法三四条一項に規定するとおり、審査請求自体には工事を差し止める効力がないのであるから、審査の手続中に工事が進行し、あるいは完成するに至つたとしても、これはやむを得ないことである。原告として工事を阻止しようとするならば、同法三四条三項による執行停止の申立てをなすとか、あるいは建築主を相手とする工事施行禁止の仮処分を申し立てるなどの方法もとり得たのであるから、必ずしも不公平だとはいえない。

なお、仮に、執行停止あるいは仮処分を申し立てたのにその決定が得られなかつたときは、やはり訴えの利益が消滅する事態もあり得るが、これは他の取消訴訟等でも同じことであり、本件のみに特別な事柄ではない。

4 原告は、建築確認の取消判定を得ることは、将来における損害賠償請求訴訟の追行等に好都合であるから、この面からも訴えの利益があると主張する。

しかし、原告が将来別訴を提起するか否か、また、いかなる訴訟を提起するかは、甚だ不確定的なことであり、このような不明確な事柄に関しての期待的利益をもつて取消訴訟における訴えの利益とみることはできない。

五 請求原因に対する認否

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2の(一)の事実は認め、(二)の原告援用の規定が存在することは認めるが、その主張は争い、(三)の主張は争う。

3 同3のうち、共同ビルが本件建物の完成により火災等の面で重大な危険にさらされているという点は否認し、その余の事実は不知。仮に、共同ビルに日照被害が生じているとしても、それは受忍限度内のものである。

4 同4の事実は認める。

理由

一 弁論の全趣旨によれば、本件建物は既に完成し、本訴提起前の昭和五五年二月二二日には検査済証の交付もなされていることが明らかであるところ、被告は、建築確認に係る建築物が既に完成している以上、付近住民である原告にはもはや当該確認の取消しを求める訴えの利益がない旨主張するのでまずこの点について検討する。

1 建築基準法によれば、建築主は、一定の建築物を建築しようとする場合においては、当該工事に着手する前に、その計画が当該建築物の敷地、構造及び建築設備に関する法律並びにこれに基づく命令及び条例(以下「建築関係法令」という。)の規定に適合するものであることについて、確認の申請書を提出して建築主事の確認を受けなければならず(六条一項)、確認を受けずに工事をすることはできないとされ(六条五項)、工事を完成した場合においては、その旨を建築主事に届け出なければならず(七条一項)、建築主事は、届出に係る建築物及びその敷地が建築関係法令に適合しているかどうかを検査し(七条二項)、それが建築関係法令に適合しているときは、建築主に対し検査済証を交付しなければならないとされている(七条三項)。そして、特定行政庁は、建築基準法又はこれに基づく命令若しくは条例の規定に違反した建築物については、建築主等に対して当該工事の施工の停止を命じ、又は、当該建築物の除却、改築その他右規定に対する違反を是正するために必要な措置をとることを命ずることができるとされている(九条一項)。

2 以上のような建築基準法上の一連の制度の中で、建築主事の行う確認の法的性質について考察するに、右確認は、工事着手前において建築計画が建築関係法令に適合するものであることを公権的に判断する行為であり、それにより申請に係る建築物について建築工事をなし得るという効果を伴うものであつて、違反建築物の出現を未然に防止することを目的としたものということができる。

したがつて、判決により建築確認が取り消されれば、当該建築物について建築工事をなし得るという確認の効果が排除され、工事を施工し得なくなるから、工事の施工を停止させることによつて回復すべき法律上の利益を有する者は、右確認の取消しを求めて訴えを提起できると解されるが、建築物が既に完成した場合には、もはや禁止すべき建築工事は完了しているのであるから、右の意味における訴えの利益は消滅するものというべきである。

3 建築物が完成した以上、当該建築物が建築関係法令に違反するという違法状態を行政面で排除するためには、特定行政庁の是正命令が必要である。そこで、右の是正命令を得るため、建築確認の取消しを求めることになお訴えの利益が認められるか否かについて、次に検討する。

右に述べたとおり、建築確認は、事前審査手続として建築計画の法規適合性を判断するものであり、建築工事をなし得るという効果を伴うが、それ以上に、右計画に従つて完成された建築物が建築関係法令に適合するか否かにまで触れるものでないことはいうまでもない。建築基準法は、完成した建築物が建築関係法令に適合するか否かを事後的に審査するため、別途、検査の手続を設け、当該建築物が建築確認どおりに建てられたかどうかでなく、それが実体的に建築関係法令に適合しているかどうかを検査することとし、更に、同法又はこれに基づく命令若しくは条例の規定に違反する建築物については、特定行政庁において是正命令を発し得るものとしていること、そして、特定行政庁は建築主事とは権限を異にする機関であり、建築主事の建築確認の判断が特定行政庁を拘束することを定めた規定は存しないことからすれば、たとえ当該建築物が建築確認どおり建てられたものであつても、それが実体的に建築関係法令に適合しない以上、特定行政庁において建築確認の取消しを待つまでもなく是正命令を発し得るものと解すべきである。すなわち、建築確認の存在は右の是正命令を発する上で何ら障害となるものではない。

他方、判決により建築計画の違法を理由として建築確認が取り消された場合には、無確認のまま当該建築物を完成させたと同様の状態が生じるところ、無確認であるという手続違反のみによつては、特定行政庁は建築物の除却等を内容とする是正命令を発することはできないのであるし、また、建築基準法九条の規定からすれば、実体的な違反建築物について是正命令を発するか否か及びいついかなる内容の是正命令を発するかは特定行政庁の合理的判断に基づく裁量に委ねられているものと解するほかなく、しかも是正命令を発するには同条の定める通知、聴聞の手続を経る必要があるのである。したがつて、仮に判決により建築主事の確認に係る建築計画の違法が明らかにされたとしても、そのことによつて直ちに特定行政庁に対し是正命令を発すべき義務を生じさせるものではないと解される。原告は、判決で明らかにされた当該建築確認の違法の性質及び程度等によつては、是正命令を発しないことが裁量権の逸脱ないし濫用になる場合があると主張するが、当該建築物の法規違反の程度いかんによつては原告主張のような場合があり得るとしても、それは、法規違反自体の効果であつて、当該法規違反が判決で宣言されるか否かにかかわるものではない。

右のように、判決によつて建築確認が取り消されない限り是正命令を発し得ないものではなく、また、判決で建築確認の違法性が明らかになつたからといつて、特定行政庁において是正命令を発することを義務づけられるものではないから、是正命令の発出を得るため建築確認の取消しを求むべき訴えの利益もないものというほかない。もつとも、特定行政庁が是正命令を発するに当たつては、建築主事の判断が事実上尊重され、建築確認を受けた計画どおりに建てられた建築物については通常特定行政庁において是正命令を発せず、判決で右確認が違法であることが明らかにされれば、是正命令の発出を期待し得る可能性がでてくることは否定できないが、前記のように右是正命令権の発動が特定行政庁の合理的裁量に委ねられている以上、それは単に事実上のものであつて、このような期待ないし利益をもつて建築確認の取消しにより回復すべき法律上の利益ということはできない(行政事件訴訟法九条括弧書の規定は、処分又は裁決の失効後においても、その処分又は裁決の取消しを求めなければ回復できない法律上の利益が残存する場合に訴えの利益が失われないことを明らかにしたものであり、処分の取消しにより将来利益を受け得る事実上の期待が生ずるにすぎない場合にまで右取消しを求める訴えの利益を認めているものではない。)。

4 原告は、違反建築物による被害を受ける付近住民としては建築確認の取消訴訟以外に適切な救済手段がなく、建築審査会に対し審査請求をしている間に建築物が完成したからといつて訴えの利益が消滅するとなれば、権利救済の道を閉ざす結果となり、妥当性を欠くと主張する。

しかし、建築確認について審査請求をした者が建築工事を差し止めるためには、行政不服審査法三四条の執行停止を申し立て、また、行政事件訴訟法八条二項一号の規定により審査請求の日から三か月経過後に建築確認の取消訴訟を提起したうえ、同法二五条の執行停止を申し立てる方法が存する。また、より直截的な権利救済の手段として、民事訴訟法に基づき建築主を直接の相手方として建築工事禁止の仮処分を申し立て、あるいは建築物の一部撤去を求める訴えを提起する方法もあるのであるから、原告の右主張は失当である。

5 また、原告は、建築確認の取消判決において建築計画及びこれに対する確認の違法性並びにその内容程度についての判示を求めることは、損害賠償請求訴訟を提起追行する上で有効に役立つから、建築確認の取消訴訟になお訴えの利益が存すると主張するが、建築計画やその確認の違法性を行政訴訟で確定しなくても直接損害賠償請求訴訟を提起追行することが可能なのであつて、単に損害賠償請求訴訟の提起追行に有利というだけでは、建築確認の取消しを求めるにつき法律上の利益を有するということの理由とするに足りない。

6 以上説示のとおり、本件においては、原告が本件確認の取消しを得ても、それによつて当然に本件建物の違反状態が是正され原告の主張する被害が除去されるものではないから、原告にはもはや本件確認の取消しを求める訴えの利益がなく、本件訴えは不適法といわなければならない。

二 よつて、本件訴えを却下することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

第一図、第二図〈省略〉

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